Bon Voyage

5月16日(火)
成田発・21時55分のエールフランス276便にて榎本・渡部・藤田いざフランスへ。
今回は旅の最後に私達(渡部・藤田)の為に特別パリにてお買い物タイムを取ってあげよう、という隊長(榎本)からの申し出。
オバサン2人感涙にむせびつつ「ねぇねぇ・・お金いくら持って来た?」「とにかくお買い物マップよくチェックしとこうね・・・」などとはしゃぎつつ機上の人に。
ところが空港でガンガン飲んだビールのたたりか,はたまた衣がたっぷりついた海老天そばのせいなのか、やく1名が絶不調、真っ青な顔でトイレにかようことしきり。
やっと何とか立ち直ったとおもったら、ワインだシャンパンだと頼んでいる、16日にわたる長い旅の始まり・・・本当に大丈夫?

5月17日(水)
パリ・シャルルドゴール空港着・4時30分まだ暗い。
コーヒーとクロワッサンの朝食をとる。
日本から予約してもらったTGV(新幹線・7時45分空港発ーボルドー・サンジャン駅行)初めてなので、人まね子猿に変身してチケットを機械に通しホームで列車を待つ。
さすがフランスが世界に誇るTGV、時間どおりにやって来たけれど気が付けば我々の車両は遥か彼方,慌てて荷物をガラガラ引きずって走る!走る!「こんなの聞いてないよ!!」
時間が無いのでとりあえず手近な車両に飛び乗るが途中で行き先が分かれるらしく2台連結になっていて前に進めない、慌てて飛び降りまたしても息を切らして走る。
やっとの事で飛び乗って振り返るとミセス渡部の姿が無い「ひぇーどうしよう!」
ガイドブックによると、音もなくドアがしまって発車するらしいのだけど「早く!早く!乗り遅れちゃうよ!」旅のはじめに、もう少しで涙の別れになる所だった。
車内はゆったり4人掛け,入り口に大きな荷物を置く棚があって良く出来ている。
列車は延々続く小麦畑の中を走り3時間でボルドーに到着。 
タクシーでホテルへ。
HOTEL(H・Ch・Chartrons)シャトー・シャルトロン

5月18日(木)
ボルドー見物。
午後から観光案内所でチケットを買って、メドック地区ワイナリーバスツアーにでかける。
「がんがんワイン飲んでやる!」と張り切っていたけれど,延々続く英語&フランス語の説明とそれに対する質疑応答、いや・・・皆とってもまじめでビックリ。
やっとお待ちかねの試飲、一人グラスに半分だけ・・・。トホホ・・・。
「おつまみまで用意してきたのに、これはないよ!!お金払ってもいいからもっと飲みたいよー」のんべぇ3人組の悲しみは深かった。

HOTEL(H・Ch・Chartrons)シャトー・シャルトロン



5月19日(金)
バスの乗り方がわからないので観光しながら1時間以上せっせと歩いて駅に行き、翌日のTGVのチケットを買う。ブロークン英語通じず、でも苦労して手に入れた分安い!
ディナータイム,またしてもミセス渡部お腹の具合が悪く留守番。
榎本・藤田、昨夜と同じレストランで又海鮮盛り合わせ(生牡蠣・生あさり・手長海老・粒貝etc・・・)を食す。
やっぱりこれには白ワインでしょ。でもせっかくボルドーに来ているので帰りにお店で赤ワインを買ってホテルで痛飲。
HOTEL(H・Ch・Chartrons)シャトー・シャルトロン

5月20日(土)
いよいよ今日からサーフトリップ。
スペイン国境近くのリゾート地ビアリッツをめざす。
TGV・13時7分ボルドー発ーサン・ジャン・ドゥ・リュズ15時12分着
ビアリッツはフランスでも有数の高級リゾートなのでとりあえず隣のサン・ジャン・ドゥ・リュズへ。
さっそく渡部・藤田でホテルさがし。呑気にかまえていたら本日土曜日で街は観光客でごった返している「ひぇーここもリゾート地だったんだ!」やっとの事で駅前旅館・ホテル・ド・パリにチェックインすることが出来た。
HOTEL(Hotel・De・Paris)

5月21日(日)
なんとレンタカー屋日曜日はお休み!さすがラテンの国アッパレと言うべきか。
仕方なくサン・ジャン・ドゥ・リュズにもう1泊。
しょぼふる雨の中1日ウロウロ観光。魚貝類が豊富で胃袋は大満足。
HOTEL(Hotel・De・Paris)

5月22日(月)
駅前のエイビスでレンタカーを借りビアリッツをめざす。
左ハンドル右側通行。思わず助手席で足がつっぱる。ポルトガル・スペインに比べれば皆幾分おとなしめの運転ではあるのだけれど・・・。
さてビアリッツ「うーんいい波!!サーファーいっぱいいるよ!!」ビーチの近くの小さなホテルにチェックイン。
ビアリッツはフランス屈指の高級リゾートでレンタル・サーフボードも有るという情報、こんかいMr榎本はウエットスーツのみ持参。
ところがクイックシルバー・ビラボーン・リップカールといった店を覗くも、ボロボロの変なボードとロングボードしかない。
悩んだ末,独身貴族のE氏は中古のショートボード現金にてお買い上げ!委託販売なのでカードは使えず。ケース共で3万円弱也。
彼が待望の波乗りをやっている間、我々おばはん達はビーチでテニスのボレーでもしようか・・・と砂浜に降り立ったものの、ごろごろ半裸!でころがってる外人?の群れに割り込んでボールを打つのが恥ずかしくボケーとすごしてしまった。
こんなことではグローバルなおば様にはなれません!おまけに日に焼けて顔だけ真っ黒け。
HOTEL(Le・Petit・Hotel)

5月23日(火)
この季節ヨーロッパは夜10時まで明るく、皆お昼過ぎからぼちぼちビーチへと繰り出してくる。お金持ちそうな小麦色のマダムから、サーファー,ご近所のキッズ達、色白の観光客の老夫婦、点々といる警察官 etc・・・。
夏休みはきっとものすごい事になるんだろうな・・などと思いつつボレーをやってると、かっこいいお兄さんがにこやかに話し掛けてくる。
エッなんなの?ナンパ?そんなわけないか、物売り?・・・。
フランス人も我々と同じくらい英語が出来ないので「スピーク・スロウリー」するといきなり日本語で「イチ・ニ・サン・シイ・ゴウ・ロク」ときた。
全精力を傾けて理解したことは「今からこのビーチで映画の撮影が有る・ゆえに貴方達は邪魔なのでこの線の後ろまでさがってほしい、たったの6分間だから」
残念!日本に帰ってから息子達に自慢話ができるとこだったのに・・・。
その後撮影終了まで延々1時間もかかり,焼け付く日差しの下ぼんやり待ってた私達は、さらに日焼けしてしまった。もう立ち直れないかもしれない。
HOTEL(Le・Petit・Hotel)

5月24日(水)
フランス国境を越え、スペインのサン・セバスチャンへ。
スペインに入ったとたん、町並みがごちゃごちゃして空気までもがほこりっぽくいかにもスペイン!!と言う感じ。
ところがスペインのガイドブックも地図も日本に忘れてきたらしく見当たらない、しかしフランスと違って、スペインの標識はとりあえず読める、標識だけを頼りにサン・セバスチャンに到着。思ったより大きな街だけどE氏の鋭い嗅覚でぶじ海も発見。
ホテルも決めてE氏はサーフィンへ、女2人組は今夜のレストランとお店チェックに街へ。
そしてその夜事件は起こった!?
時間が早かったせいで(7時頃はスペイン人にとってまだディナータイムではないらしい)レストランはやってなく、庶民的なバルの奥にある小さなコーナーにやっと落ち着いてワインと2・3品あと時価のアサリの生を注文。これが絶品なのです。
一人4個の小さなアサリを大事に食べてさてチェック,ゲゲ・・・なんとアサリ12個4500円なり!やられた今までレストランで食べても2000円以下だったのに・・・「ねぇどうするお金足りないよ」かくしてオバサン2人を人質に残し,E氏は異国の夜の町にATMを探して延々さまようのであった。ゆめゆめ時価はたのむべからず。この後やっとお金を引き出したE氏、今度は入り組んだ路地のバルの場所がわからずまたまた夜の町をさまよい続けるのでした。
HOTEL(Hotel・Parma)

5月25日(木)
本日もサン・セバスチャン。
スペインは革製品が品質も良く安い、これは何が何でもゲットせねばと張り切って町に繰り出す2人組。
ミセス渡部自分の為にとてもしなやかな極上の皮で作った淡いベージュのジャケットを購入。「東京でこんなの買ったら10万円はするわよ!」それが3万円弱。
次に留守番の夫と息子に靴を買う。夫にはいつもはいてる茶の靴。この春から働き始めた息子には背広に合わせた黒いバックスキンの紐靴。しかしこの靴が後に大いなる悲劇のもとになろうとは・・・神ならぬ身の知るよしも無かった。
夫「お前この靴安もんだろう、靴の底を見るとすぐわかる。」
息子「何だよこれ!バブルの時のアルマーニのスーツじゃあるまいし、こんなバックスキンのくつなんかいまどきはくやついねーよ!ほかになんかいいモノなかったのかよ!セーターとか皮のジャケットとか・・まったく自分だけそんないいコート買って。」
ミセスW「ね,聞いて!こんな靴、はかないからガレージセールにでも出せばって、息子が言うのよ、あんまり悔しいから靴投げつけてやったわ!!」
確かにたくさん靴を見てまわって、一番安い店でお土産を買ってしまったケチな私達です。
HOTEL(Hotel・Parma)

5月26日(金)
朝サン・セバスチャンを離れサン・ジャン・ドゥリュズに戻ってきた。
駅で翌日のTGV・パリ行きの切符を買う、最後にパリに2泊する予定だったけれど、カルカッソンヌやリモージュはまた次の機会・・ということで2日早く出発することに。
おなじみになった駅前旅館に宿を取り、またビアリッツへ。最後のサーフィン。
先日宿泊したビアリッツのプチホテルのレストランは、ムール貝のワイン蒸が絶品で3回も通ってしまった。ホーロー引きのずしり重い鍋一杯のジューシーな貝と山盛りのあつあつフライドポテトでお腹がパンパカリン。ワインも飲んで極楽ゴクラク。
HOTEL(Hotel・De・Paris)

5月27日(土)
レンタカーを返却(1日・5600円X5日)
TGV・11時6分サン・ジャン・ドゥリュズ駅発ーパリ・モンパルナス駅16時20分着。5時間の旅。カードでチケットが買えるし、日本で予約していくより遥かに安い。
さて花の都パリ。
おのぼりさんの私達、サーフボードや他の荷物を抱えてうろうろするのも大変なのでモンパルナス駅のまわりでホテルをさがすことに。
ところが出口がわからない、公園があって大勢の人がローラーブレードを楽しんでいる、そのそばをガラガラ荷物を引きずりながら歩いていたら又もとの場所に出てしまった・・・。
う・・・困った。作戦変更、5月29日・30日予約してあるホテル・トリアノン・リブ・ゴーシュ迄行って空いていたらOK、だめだったらその近くで探そうという事に。
小1時間待ってようやくタクシーに乗り込みサンジェルマンへ。
気が付くと今日は土曜日、溢れる人出になんだか悪い予感。案の定どこのホテルを訪ねても「I am sorry」親切なマダムが「家は一杯だけど知り合いのところを聞いてあげましょう」と電話を掛けてくれたけど「sorry・ good luck」
「がーん!グッドラックと言われてしまったよ、今夜は野宿かも知れない・・・。」
最終的に何とかキャンセルの出たホテルが見つかり家なき子にならずにすんだ。
土曜日のパリ,レストランも混みこみで仕方なくディナーにピザを食す。
HOTEL(Belloy・St・Germain)

5月28日(日)
日曜日のサンジェルマン通はひっそりと静まり返っている。
近くのカフェでクロワッサンとカフェオーレの朝食。帰りに今夜のホテルを予約。
すぐそばのリュクサンブール公園へ出かけると、中国系の人をリーダーにあちこちで太極拳の輪が出来ている。中には「爺チャンそれって本当に太極拳なの?」みたいなヘンテコリンなことをやってる人もいて、またそれを取り巻くフランス人達が一生懸命まねしているのもおかしい。まさか坊さんこけたら皆こけた・・・じゃないよね。
あと世界の不思議な風景を空撮した写真展も開かれている。日本に帰ってきたら同じ写真展をやっていた。
奥にテニスコートもあってとてもにぎわっている。ああ・・日曜日以外だったら私達もプレイできるかな?ヤリテェー!
マロニエの並木がとても美しい。
午後からセーヌの岸辺に沿ってエッフェル塔をめざす。途中映画の舞台になったポンヌフの橋を渡りオルセー美術館を横目で見つつひたすら歩く。
地下鉄で行けばあっという間なんだろうけど・・・往復4時間!もう根性の世界ですね。
帰りに凱旋門を眺めうわさのシャンゼリゼを歩く、その間、口に入れたのは水とアイスクリームだけ、腹へった・・・。
ディナータイム、大いに張り切ってレストランへ。
そこはアルザス地方の郷土料理の店で、出てきた料理に山盛りの酢キャベツ(サワークラフト)かジャガイモがついてて「うーんいくらなんでもすごすぎ、全部食べられないかも・・・」などと言ってると隣の席に75歳位のおばあちゃん3人ヨタヨタとやって来た。
しばらくして、それぞれ注文したものが運ばれてくる、一人のおばあさんは大きな銀盆にキャベツ、ジャガイモ、ソーセージ,ベーコンが山盛り,別のばーちゃんの皿は大盛のフライドポテトに骨付きのでかいローストラム、もう一人は山のような酢キャベツに虹鱒のムニエル,ああ・・あんなに頼んじゃって・・・人ごとながら気になってしかたがない。
だがしかしパンを食べ、ワインを飲み、ペロリと料理をたいらげ最後にデザートまで食べてしまった。おみごと!脱帽です。
つらつら考えるに、狩猟民族は食いだめが出来るんじゃないのかな?代々そう言う遺伝子が伝わっているとしか思えない。農耕民族の末裔である我々はいつも決まった収穫があり
安定した食生活を送ってきたことと無関係ではないよね・・・。
HOTEL(St・Pierre)

5月29日(月)
昨日泊まったホテル・サン・ピエール。裏通りにある安いホテル。年代物のエレベーターでごとごと上がってくると、最上階・7階の小さな部屋からの眺めがすばらしい。
エッフェル塔がイルミネーションで縁取られ夜空に美しく浮かび上がっている。
10時頃突然エッフェル塔がキラメキ始めた。小さな花火がバチバチ燃えて光り輝くようにエッフェル塔全体がまばゆい光に包まれた。
「わーすごいね、本当にキレイ!この部屋でよかったね。」壊れそうなベランダから身を乗り出し、お尻をむずむずさせながら美しいショーを見ていた。
今日はかの有名なルーブル美術館へ。
ところが行ってみると入り口は長蛇の列。なおかつ観光バスがどんどんはいってくる。
こりゃだめだ!とりあえずサン・ジェルマン通りへ行ってお店チェック。
3時から入場料が安くなるので又ルーブルへ。おおやった!人があんまりいないぞ、と勇んで中に入ると、皆3時からのディスカウント・チケットを求めて売り場は人の渦、1時間くらいかかってやっと買えた時はすでに疲れ果ててしまっていた。後から気が付いたんだけど、一番右の窓口でカードで買うとすぐだったのに、残念。
ルーブル広し!とりあえず標識にしたがって、ミロのヴィーナス・モナリザの微笑み・をめざす。あっちを見たりこっちを見たり、3時間かけてざっと見終わった頃には口を利くのもおっくうなぐらいくたびれてしまった。ミロのヴィーナスは行方不明、モナリザは黒山の人だかり、一番見たかった印象派の絵は思ったより少なく、睡蓮で有名なモネの冬景色の絵とミケランジェロの彫刻・瀕死の奴隷の美しい顔が印象に残った。
HOTEL(トリアノン・リブ・ゴーシュ)

5月30日(火)
いよいよサン・ジェルマンでお買い物!!!
この日を待ちわび指折り数えていたオバサン二人。
しかし本日無情な雨、それもザーザー降り。仕方なく傘を買う、へなへなぐらぐらして風が吹くとすぐオチョコになってしまう代物。
頼まれていたセーターを買いにまずはアニエス・ベー・オムへ、誰もいない店内、手持ちぶさたな男の店員二人「男物の店にあんたたち何か用事があるの?どうせ冷やかしでしょう」みたいな視線が突き刺さる。
「こら!あんた達サービス業でしょ、もっと愛想よくせんかい、それともオカマなの!」
などとこちらも心のなかでどつく。
セーターを買ったついでに、森人に黒いパンツでもかってやろうかな・・・と思って見ていたらミセス渡部に止められてしまった。
曰く「どうせかかとで潰したり切ったりボロボロにするんだから、こんな高いもの買ってやること無いよ、もったいない」ごもっとも。
次にアニエス・ベーに行って私のシャツを選んでいると「よしなさいよ、高いわよ、東京と変わんないわよ」えっそうなの・・・。
私達はこの時点で大いなる勘違いをしていたのだ、両替手数料込みで1フラン=20円位と思って財布のひもをぎゅうぎゅにしめてたら実は1フラン=16円だった。
日本に帰ってから気が付いた馬鹿な私・・・とほほ。
あんなに楽しみにしてたのに買ったものはおみやげの生ハム・カマンベルチーズ・チョコレート・ワインだけ、ああケチな自分が悲しい。

HOTEL(トリアノン・リブ・ゴーシュ)



5月31日(火)
朝9時にタクシーを頼んでいたら、8時に迎えに来た、あわてて少し待ってくれるように頼んだけれど乗合タクシーなのでだめだとにべもない。
ひやー大変!あせりにあせって荷物をまとめ、待たせてしまった他の乗客にぺこぺこ謝って車に乗り込む、9時にはもう空港に着いてしまった。
13時15分・シャルル・ド・ゴール空港発。

6月1日(水)
7時50分成田着・旅は終わりぬ。パリはブランドのイメージがあってもっと他人行儀な街だと思ってたけど、親しみ易い素敵な所だった。もう一度行ってもいいかな・・。
そんときゃお買い物するぞー!!